ブラック・ジャック先生

無免許医師

総本山知恩院発行『知恩』平成八年三月号に寄稿したものです。

最近、ふと思い立って、今は亡き手塚治虫先生の作品の一つ・医学漫画『ブラック・ジャック』全二百四十二話を、すべて読み返してみた。

言うまでもなく、主人公のブラック・ジャックは医者である。奇跡のような素晴らしい手術の腕を持ちながら、医師免許を拒否し、依頼者や患者たちに法外な額の成功報酬を要求する、一種のアンチヒーローである。しかし、その心の中は限りなく温かく、かけがえのない命に対する、尊崇と慈しみに満ちている。

そんなブラック・ジャックの孤高な姿に、医師の資格はおろか医学博士号(「異形精子細胞の膜構造に関する電子顕微鏡的研究」で一九六一年に学位取得)さえ持ちながら、かつて“教育の敵”とさえ言われた漫画の世界に身を投じ、その漫画を文化の域にまで高めた手塚治虫先生の人生が、ひったりと重なり合って見える。

『週間少年チャンピオン』誌上で『ブラック・ジャック』の連載が始まった一九七三年当時、私は、学校の講義より野球に熱中する、現役の医大生だった。へそ曲がりの医者の卵には、ブラック・ジャックのシニカルな生きざまが、恐ろしく新鮮に思えたものであった。
 あれから、およそ四半世紀。それ相応の年齢を重ね、曲がりなりに医師としての経験を積んだ今になっても、いや今だからこそ、手塚先生渾身のストーリーがより深く心に響き、ひとこまひとこまが鮮やかな光を放つ。ブラック・ジャックの、“神技”と呼ばれるメスさばきのように―――。

手塚治虫先生は、一九五一年に大阪大学付属医学専門学校を卒業し、大阪大学でのインターンを経て、一九五三年に医師の免許を取得された。その時、先生の代表作に数えられる『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』の連載がすでに始まっており、ご自身は実際の医療現場での臨床経験をまったく持っておられない。

しかしだからこそ、医療や医学に対する先生の純粋な想いが、いささかなりとも損なわれることのないままに、その豊富な知識とともに、ブラック・ジャックという医師の理想像の中で今も鮮やかに息づいているのではあるまいか。

ブラック・ジャックは、感情の人である。暗い過去を背負い、黒づくめの衣装に身を包みながら、抑えきれない喜怒哀楽を毎回のように発露する。

神の指を持つブラック・ジャックが、患者を救えないことがある(それは二百四十二話中、わずか五話だけであるが)。私は、さっそうと患者の体を切り刻んで手術を成功させるブラック・ジャックよりも、自らの手技と医学の限界の前にひざまずき、苦悩に身をよじるブラック・ジャックに、より心を引かれてしまう。

ある時、患者のなきがらを前にして、ブラック・ジャックが叫ぶ。

「神さまとやら! あなたは残酷だぞ。医者は患者の病気をなおして命を助ける! その結果世界じゅうに人間がバクハツ的にふえ、食糧危機がきて何億人も飢えて死んでいく。そいつがあんたのおぼしめしなら、医者はなんのためにあるんだ」
(第五十話「ちぢむ!!」)

 そんなブラック・ジャックに、彼の命の恩人である本間博士が呼びかける。

「これだけはキモに命じておきたまえ。医者は人をなおすんじゃない。人をなおす手伝いをするだけだ。なおすのは…本人。本人の気力なんだぞ! 医者が人の生き死にのカギを握るなんて、思いあがりもはなはだしいんじゃないか?」
(第二百二十九話「人生という名のSL」)

 生前、手塚先生は、ブラック・ジャックを評するこんな言葉を残している。

「この医者の技術は昭和二十年代の技術です。ブラック・ジャックを読んで、時代錯誤だとかクラシックだとか批判する読者がずいぶんとありました。もちろん、そういった方は専門的な蘊蓄の豊富な方々です。まあ、こんな批判には一言もありません。しかし、私がブラック・ジャックで書こうとしたのは、そんな瑣末的な医療技術の紹介ではないのです―――」
(一九八六年の富山県民大学講座から)

と。

また、京都府立医大出身の映画監督・大森一樹氏はこう語る。

「なぜブラック・ジャックが無免許医師なのかも推理できる。(中略)建前はどうあれ、本音のところでは、この国では漫画は文化に入れられていない、いわば無免許の文化のような気がする。(中略)問題は国の免許状一枚でコロリと変わってしまう人々の見識なのだ」

 私は医師の免許を持っている。

「だが、果たして本物の“医者”なのか」そのような迷いの壁にぶち当たるたびに、私はいつも堂々と、『ブラック・ジャック』を読み返す。“答え”は、その中にちゃんと書いてある。